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2007年12月

2007年12月28日 (金)

旧暦びより

 いつもお世話になっている地元放送局のKBS京都さんが、旧暦をテーマとした書籍を出版されました。最近、忘れられがちな季節感を見直そうという本で、かわいらしいイラストや写真の豊富な読みやすい本です。
 私もp.38、39に寄稿しています。ぜひご覧下さい。

 京都放送編『旧暦びより』コトコト、2008

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2007年12月27日 (木)

ここに花があります

 フランス文学の教授から、こんな質問を受けました。
 日本人の学生に、「ここに花があります」とフランス語で書きなさいというと、ほとんどの学生は「ここに一輪の花がある」と書く。
 でも、ネイティブのフランス人に、同じく「ここに花があります」と自国語で書きなさいというと、「ここに数本の花がある」と複数形で書く。
 これは花に対する日本人とフランス人の考え方の違いではないか、と彼は私に問いかけました。
 西洋人は花というと、プレゼントの花束を思い浮かべ、日本人は、一輪差しにいけられた一輪の花を思い浮かべる。なかなか興味深い事実ですね。
 花に対する考え方の違いは、東西の花芸術の技法にも見られます。
 西洋のフラワーアートでは、たくさんの花を敷き詰めて面を作る「足し算」の技法を用います。これに対して、日本のいけばなでは、花同士が同じ高さで隣り合ってる場合、どちらか一方を取り除き、残った花のまわりに空間を作り出す。一輪の花を際立たせる「引き算」の技法です。
 たくさんの花を同時に愛でる「足し算」と一輪の花を際立たせる「引き算」。東西の花芸術が異なった技法を用いる背景には、教授の指摘した日本人とフランス人の花に対する考え方の違いがあるのかもしれませんね。

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2007年12月23日 (日)

トルコでの出会い

 東西文明の十字路、トルコへ行ってきました。パムッカレの石灰棚やカッパドキアの奇岩群といった自然遺産と、エフェソスのローマ遺跡をはじめとする文化遺産と見所満載の国。圧巻は、イスラムのモスクに転用されて現在まで残されたイスタンブールのハギア・ソフィア大聖堂。もちろんブルー・モスクも素敵ですが、内部空間の壮大さと歴史的価値は比べ物になりません。いつまでもその場にとどまりたいと思わせる不思議な魅力のある空間でした。
 トルコでは、多くの世界遺産との出会いだけでなく、もう一つの大きな出会いがありました。それは、現地ガイドのネドさんとの出会い。彼は、私と同世代。トルコに対する深い愛国心を抱きつつ、日本を第二の故郷のように愛している、そんな男性です。
 バスでの移動中に、彼が、日本とトルコとの関係を語ってくれました。
 明治期にオスマントルコの軍艦が和歌山県串本沖で遭難した時のこと。大島村の住民は自らの衣服を脱ぎ捨てて、救助されたトルコ人に抱きつき、自らの体温を与えました。
 イラクのサダム・フセイン大統領が、特定の期日を過ぎたらイランを無条件に攻撃すると宣言したときのこと。他国が自国民の救出だけに手一杯で、日本からも救出機が派遣できない状況の中、在イランの邦人を救い出してくれたのは、トルコの航空機でした。トルコに入国したのは、なんと決められた時刻の45分前。「トルコ入国おめでとうございます」という機長のアナウンスで、しんと静まり返っていた室内に、安堵と感謝の拍手が起こったそうです。
 いずれも献身的な対応で、誰もが簡単にできることではありません。しかし、今、多くの日本人はこれらの事実を忘れています。
 彼が日本語を勉強しはじめたきっかけは「桜の美しさ」でした。霞と見紛うような山桜、豊麗な八重桜、優しい枝ぶりの枝垂桜…。幼い頃の彼は、写真集で見た桜の魅力に取り付かれます。満開の桜の下で、いつか花見をして見たい。そんな思いで、彼は日本語を学びました。
 彼の夢は、桜の花をトルコに植樹して、トルコで花見をすること。日本とトルコの文化の架け橋になりたい、と彼は言います。
 素敵な夢ですね。
 私の使命は、いけばなを通じて、日本の素晴らしさを海外に発信すること。彼の夢と私の夢が重なります。

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2007年12月15日 (土)

寄り道

 大阪のラジオ局FM802で、番組審議会委員を務めています。毎月1つの番組を審議し、倫理に反していないか、(「ヤバイ」を良い意味で使うなど)言葉遣いに問題がないかといったチェックや、よりよい番組にするための助言などを行っています。
 この審議会で、「ラジオのよさは目的外余得である」という意見が出されました。
 目的外余得。
 聞きなれない言葉ですね。
 SONYやマクドナルドのCMのように、一社提供のCMには、いろんなアーティストにイメージソングを歌ってもらうなど工夫を凝らし、丁寧に作りこんであって、番組以上に興味を引くものもあります。もちろんラジオを聴く目的は、音楽や情報を得ることですが、それに付随するCMがおもしろい。
 これが目的外余得です。
 また、好きなジャンルの音楽を聴きたいから、ラジオを聴いているとしましょう。ラジオからは、好きな音楽だけでなく、自分の知らない音楽や情報も流れてきます。でも、その中に、自分が興味を持つものがあるかもしれない。これも目的外余得。
 自分が好きなジャンルというのは、今までの経験の中での好みです。好きな音楽しかダウンロードしないのは、井の中の蛙。非常に狭い範囲でしか、物事を見ていない。自分の経験したことのない世界が広がっているということをラジオは教えてくれるのです。
 ラジオのよさというのは、電子辞書ではなく手引き辞書のよさ。電子辞書だと調べた言葉の意味しか見られないけれど、手引きの辞書だと、調べる過程で、余計な言葉の意味まで目に入り、かえってそれが勉強になったりします。
 ちょっと寄り道をして、いろんな世界に触れてみましょう。 
 無駄かもしれないけれど、きっとそこには素敵な出会いがあるでしょう。

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2007年12月14日 (金)

ほんもの

 友人の漆芸家の話です。
 彼は、自分の息子が食事を取るときに、二つのお茶碗を用意しました。自分の塗った漆のお茶碗と、プラスチック製のキャラクターもののお茶碗です。子どもは、両方を交互に使っていましたが、しばらくすると漆の器しか手にしなくなったそうです。
 漆のお茶碗の方が、軽くて、口あたりもよい。たとえ、可愛らしいキャラクターは描かれていなくても、使いやすさが抜群なのです。小さな子どもでも、ほんもののよさは分かるのですね。
 安易にプラスチック製のものを使わせていませんか?
 漆器は痛むし、陶器は割れる。ひょっとしたら、割れないプラスチック製の器の方が安全かもしれない。でも、ものが痛むことを身をもって体験することで、ものを大事にする気持ちを肌で学ぶのでしょう。
 自分の子どもには、ほんものを使わせたいものです。

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2007年12月13日 (木)

散った椿

 「あなたの描く絵はとても日本的だね」。
 京都在住の絵本作家さんが、フランス人にそう声をかけられたのですって。彼女の描く絵は、日本画ではなくファンタジー絵画。愛らしい妖精などをモチーフにされているので、私たち日本人から見ると、どちらかといえば西洋的なイメージにも思えるのですが…。
 そのフランス人が日本的だと感じたのは、苔むした地面に真っ赤な椿の花が散っている一枚の絵でした。
 「私たちが愛でるのは、枝についている今は盛りの花。だから、枝から落ちた椿の花に目をとめることはない」と、そのフランス人は言いました。
 落ちた椿の美しさに目をとめるのは、日本人の美意識なのですね。
 いけばなの世界でも、西洋と日本では、違いがあります。西洋のフラワーアレンジメントやフラワーアートでは、いけあげたその瞬間が最高になるように、開いた花を多用します。ところが、日本のいけばなは、莟の状態でいけあげる。そして、その花の命の移ろいを最期まで見届けます。莟がほころび、満開を迎え、やがて散り行く。その移ろいのすべてを、等しく大事にしています。いけばなには最高の瞬間がないのです。
 よく考えれば、人間だってそうですよね。生まれたての赤ん坊でもお年寄りでも、命に軽重はありません。
 日本人は、かけがえのない命を大切に慈しんできました。だからこそ、散った花にさえ、命の尊さを見出すのですね。

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