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2008年5月

2008年5月23日 (金)

弁護士の仕事

 ある人が罪を犯して、裁判を受けます。その際、犯人には弁護士がつきます。犯人の弁護をするのは、悪者の味方をするようで嫌ですよね。判官びいきの日本人は、弱者である被害者の味方になりたいと思います。
 でも、実は、弁護士の仕事というのは被害者の味方をするという性質のものではないそうです。
 検察官は、被害者の立場から犯罪行為に光を当てます。「彼はこんな悪いことをしました」「彼の行為を許すことはできません」と。しかし、一方から光を当てるだけだと、どうしても偏りが出ます。真実をはっきりと掴み取るためには、両方から光を当てる必要があります。そこで、弁護士は、別の立場からその行為に光をあてます。「彼は罪を犯したときこういう状況でした」「そういう行為をとってしまうのは仕方のないことなのかもしれません」と。同じ一つの行為でも、光の当て方次第で違ったものに見えます。
 弁護士の仕事は、真実を掴み取るための手助けなのですね。そして、その人物像を客観的に判断するのが裁判所というわけです。
 真の姿をはっきり掴み取るためには、両方から光を当てるのが効果的なのですね。
 来月、「京都を語る」と題したイベントが催されます。内と外から京都に光を当て、京都の真の姿を掴み取ろうというのです。外から光を当てるのは、茶道家のランディー・チャネルさん。ランディーさんはカナダ人で、武道を学ぶために来日し、茶道の先生に。これに対し、京都生まれ京都育ちの私は、内側から京都に光を当ててみようと思っています。
 入場無料ですので、ぜひ気軽にお立ち寄り下さい。

対談 『京都を語る』
と き 2008年6月12日(木)18:30~20:30(17:30受付開始)
ところ ハートピア京都3階会議室
笹岡隆甫(華道家)×ランディー・チャネル(茶道家)
入場無料(要申込)
問い合わせ 075-241-3241(社団法人京都青年会議所)

http://kyoto-jc.kir.jp/002/images/top/reikai_jun.jpg

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2008年5月22日 (木)

なにげない日常

 私はあまり他人からの批評や批判は気にならない質ですが、それでも心ない中傷を受け、柄にもなく落ち込むことがあります。そんな時、つい自己弁護のため反論したくなるものですが、そんな論争からは何も生まれません。たとえ相手をやりこめたとしても、お互いにしこりが残ります。
 ちょっと見方を変えてみましょう。ナイフのような言葉で傷つけられるような辛い出来事があると、普段のなにない日常にたくさんの幸せがあることに気付かされます。屈託のない笑顔で私に話しかけてくれる人がいること、私を笑わせてくれる人がいること、私を師と慕ってくれる人がいること、私を愛してくれる人がいること…。
 なにげない日常にこそ幸せがある。そう、気付かせてくれて、ありがとう。自分を傷つけた相手に、そんな感謝の気持ちを持つことができれば素敵ですね。

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2008年5月15日 (木)

鏡リュウジさん

 心理占星術研究家の鏡リュウジさんと対談させて頂きました。鏡さんのお母様とは、私の祖父や両親も含め、家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いています。占星術というと非科学的というイメージをお持ちの方も多いようですが、私は過去の経験に基づいた統計学のようなものだと捉えています。太陽や月の動きが、四季の移ろいや潮の干満を生み出し、それらが直接的間接的に私たちに影響を与えていると考えれば、納得のいく話です。
 さて、鏡さんが私の生まれた日時の、太陽と月の位置を調べて下さいました。太陽の位置が示した私の性格(昼の自分)は、繊細で潔癖症、ミクロン単位で細かくこだわる完璧主義者。そして月の位置が示した私の性格(夜の自分)は、大きく世界を見渡すマクロな視点を持つ人。また、黄道(太陽の通り道)と白道(月の通り道)の交差する点(未来の自分)は、人と人とのネットワークを大事にする人。
 これら三つは私のいけばなに対する考え方そのものであることに驚かされました。いけばなは花の姿を、より美しく際立たせるテクニックです。花の美しさを引き出すためには、妥協せずあらゆる技法を駆使します。また、いけばなは単なるテクニックではなく、花を通してこの世の中のことを考える哲学でもあります。現在、環境破壊が進み、美しい日本の四季が失われようとしています。家の中に四季を取り込むわれわれ華道家は、自然破壊を食い止めよう、と声をあげなくてはならない。小さな花を通して、私たちの生きるこの大きな地球の未来を考えるのも、いけばなです。そして、いけばなの一番の魅力は、花を通じて、たくさんの出会いがあること。私自身、いけばなに携わっているおかげで、たくさんの出会いを経験してきました。それに、人と人との出会いの場に一輪の花があるだけで、空気が和らぎ、人と人とのつながりも自然と優しくなります。今回の鏡さんとのご縁もその一つ。
 鏡さんによると、今年中に自身の成長につながる素敵な出会いがあるそう。大事な出会いを見逃さないように、日々の小さな出会いを大切にしたいものです。
 この対談の模様は、LaLa TVで近日放送予定。ぜひご覧下さい。

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2008年5月14日 (水)

藤棚

 友人が、山のふもとを指さして、「あれは何の花?」と尋ねます。指さす方を見ると、ぶどうの房のように鈴なりに咲く紫の花、そう藤の花です。「へぇ、初めて見た」。「ほんとに?」。そんなやりとりがありました。
 藤棚の藤は見慣れていても、山に自生する藤を目にする機会は意外と少ないもの。考えてみると、校庭や公園の藤棚というのは、とても優れた仕掛けなんですね。藤棚を作って自然を身近に取り込むことで、普段目にすることのない藤と簡単に触れ合うことができるのですから。
 藤棚よりも、一層間近に自然と触れ合えるのが、いけばなです。いけばなは、家の中に自然を持ち込むので、その影響は絶大です。長くしだれた藤の房を、玄関に飾ってみましょう。藤にはお酒を飲ませます。水の中に日本酒を加えておくと、長持ちするのです。家に飾った藤は、房の付け根の方から蕾がほころび、徐々に先の方へと順番に開いていきます。満開を迎えると、今度は、また付け根の方から、花が凋み、散っていく。そんな命の移ろいを間近で感じ、私たちは自然の理を知るのです。

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2008年5月12日 (月)

お寿司屋さんにて

 京都の街中にある小さなお寿司屋さんに行ってきました。とても柔かくて甘い穴子丼が秀逸の名店です。
 カウンター6席のとても小さなお店で、お話上手な女将さんがお店の顔。女将さんを中心に、お客さん同士が、和気藹々と話をする。そんな昔ながらのお店です。
 女将さんが、「こうやってお店をやっているといろんな客様がいらっしゃるのよ」と、ある二人組のお客さんのエピソードを話して下さいました。
 そこのお店さんのメニューには値段が書かれていません。そのお客さんは、そのメニューにあるすべての品を、1品ずつ指差し、その値段を聞かれたそうです。「お客様に安くてよいものを提供したいという想いから、小さな店で手を広げずにやっているのに。他の店なら、この素材を使えば3倍以上の価格ですよ…」、そう心では思いながらも、年配のお客様だったので失礼だからと、我慢して応対していた女将さん。 
 ようやく注文が決まったら、次は「どれくらいかかる?」との質問。「20分もかかりませんよ」と答えると、「あら、それやったら間に合わないわ」とそそくさと店を後にされたのですって。
 「お茶代払え!と、言ってやろうかと思った」と、女将さんはおっしゃっていました。
 京都のお店はこれだから怖い、と思われるかもしれませんが、女将さんは、京都のもてなしというものを分かってほしかったのだと、私は思います。以前このコラムでも書きましたが、京都は、人と人とのつながりを何よりも大切にする街です。お店は、お客様のために最善を尽くします。だから、お茶一つとっても、味のよいもの、お寿司に合うものを厳選して、大切に淹れています。お料理の値段もお客様の負担にならないように最低限に設定しているのです。
 また、女将さんは、「お客さんは決して店を裏切らない。裏切るのはお店。料理やもてなしに関してちょっとでも手を抜いたら、お客さんは離れていくんですよ」とも。なんとも含蓄のある言葉です。

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2008年5月 4日 (日)

愛宕さん

 愛宕さんにお参りしました。
 京都は盆地なので、まわりを山に囲まれています。その中で特に高い山が二つ。北東の比叡山と、北西の愛宕山です。比叡山の山頂には延暦寺、愛宕山には愛宕神社があり、京都の街を守ってくれています。
 親しみを込めて「愛宕さん」と呼ばれるこの愛宕神社は、火伏せの神さまとして有名。「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札は、京都ではほとんどの家の台所に貼ってあるほどです。また、3歳までに愛宕さんにお参りすると一生火事にあわないという言い伝えがあり、私や妹弟も3歳になるまでに両親に連れられてお参りしました。幼い子には辛い道のりですが、とてもよい経験になります。
 今回は、3歳になる姪の参拝の付き添いで、家族総出でのお参りです。薄紫の藤の花やカエデの新緑を楽しみつつ、子どもの手をひきながらの、のんびりした登山。子どもをなだめながら、30分ごとに休憩を入れ、ゆっくりと山道を登っていきます。ゴールデンウィーク中だったので、たくさんの人で賑わっていました。登山道ですので、すれ違うときには必ず「おはようございます」「こんにちは」と、声をかけ合います。街中では人が多すぎて、かえって挨拶することが少ないですが、このように知らない人同士が、きちんと声をかけあうのは、気持ちのいいものですね。幼い姪を見ると、皆さん、「小さいのに頑張ってるね」「もうちょっとで山頂だよ」と声をかけて下さいます。
 午前7時半に、ふもとの清滝川を出発し、愛宕神社に到着したのはなんと11時。しかし、そこには思わぬサプライズが。なんと、満開の桜たちが、私たちを出迎えてくれたのです。この時期に愛宕さんにお参りするのははじめてで今まで気付かなかったのですが、門前には様々な種類の桜が植えられていたのです。牡丹桜などは、まだつぼみもたくさん残っていて、京都の街中と比べると1ヶ月ほど遅れているようです。お参りを済ませ、満開の桜の下で、楽しみにしていたお弁当にありつきます。久々に山の上で食べるおにぎりの味は最高でした。
 復路も、楽ではありません。階段が多く、一面の落ち葉で足がとられて、すべりやすいのです。みんなが交代で、姪の両手をひきながら、午後3時、ようやく清滝川にたどり着きました。姪も、ふらふらになりながら、なんとか自分の足で、登り切ったのでした。姪にとっても、忘れられない一日になることでしょう。

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2008年5月 2日 (金)

わがまま

 私は、自他共に認めるわがままです。 
 心理学専攻の方に、どうすればわがままが治りますかという質問をしたところ、こんな答えが返ってきました。
 「自分より大切な人のことを考えなさい」。
 まさに目から鱗でした。
 そうか、わがままというのは、自分が一番大事だということ。自分のことしか考えていないから、自分が幸せならそれでよいと思ってしまう。
 でも、誰にだって自分より大切な人がいますよね。家族、恋人、友人…。その人のためなら、何だってできるという人が。大事な人のためなら、多少自分のことを犠牲にしても、我慢できます。
 そうやっていつも自分の大切な人のことを考えていれば、わがままは治るのかもしれません。
 人間、誰しも利己的で、マザー・テレサやコルベ神父のように利他の精神を持つ人を尊敬し、そうありたいと願うけれども、実際はなかなかそうはいかない。でも、まずは、大切な人のことを考えることからはじめればいい。そう、教えられた一言でした。
 

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2008年5月 1日 (木)

650年の伝統

 初めて、能を体験しました。
 能の演目は、神(しん)男(なん)女(にょ)狂(きょう)鬼(き)の5つに大別できます。最初の3つは、神、男性、女性を題材にしたもの。そして、狂はわが子を奪われて捜し求める母、鬼は怨霊を描いたものが中心です。演じる順も、神男女狂鬼の順。最近では5番すべてを演じるのではなく、その中から2つくらいの演目が選ばれます。
 おもしろいのは、おもて(能面)や装束には、すべて決まりごとがあるということ。分かりやすい例は、おもての髪の描き方。「女」のおもてでは整っている女性の髪の毛が、「狂」のおもてでは少し乱れ、「鬼」ではかなりの乱れ髪となっています。髪の毛が、登場人物の心が表現しているのですね。装束の色にも決まりごとがあります。若い女性には紅色の入るものを用い、裏地の色も紅色。これが白色の装束なら、高貴な女性を表します。扇でも、上両端の色が、紅色(妻紅)であれば若さ、紺色(妻紺)であれば老いを表すのだそう。装束や道具の決まりごとを知れば、能に対する興味も自然と増してきます。
 さて、今回体験させて頂いたのはシテ方。謡と舞を担当する能の主役です。
 まずは謡。先生と向かい合って有名な「高砂」のお稽古です。情景を思い浮かべながら、遠くまで届くようにお腹から大声を出します。但し、息を吐き切ってしまうと息継ぎに時間がかかります。少し余力を残すくらいにしておけば、息継ぎもスムーズですし、声にも深みが出てきます。先生のお手本に続いて、謡うのですが、節が難しく大苦戦。人前で披露できるようになるまでには、かなりの修行が必要です。
 次に、舞の稽古。まずは基本の姿勢や摺り足に続いて、刀の扱いも学びました。基本は寸止めで、刀をあわすことはありません。しかし、これが意外にアクロバティック。切られる方は、大きな音をたてて宙返りをしたり、後方にバタンと倒れこんだり。
 そして今回は特別に、装束を身にまとい、おもてをかけさせて頂きました。装束は大柄に見せるためにかなり分厚くて重く暑いこと、おもてをかけると視野がほとんどなくなること、また充分に空気を吸えないので息苦しいことも分かりました。本来ならば、装束をつけるまでに、5~7年修行するのだそうです。とても貴重な体験でした。
 私の友人にも能楽師がいます。彼とはこれまでに何度も同じ舞台に立っています。といっても、もちろん私が能を演じるわけではありません。能の演目には、植物が登場するものが多くあります。例えば「吉野天人」なら桜、「羽衣」なら松。そこで、まずは私が能の演目にちなんだいけばなで舞台を装飾し、友人がそのいけばなの前で能を演じるといったコラボレーションに挑戦しているのです。今回の経験を生かせば、次回の友人とのコラボレーションは一味違ったものになるに違いありません。

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