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2009年2月 5日 (木)

場をつくる

 私は学生時代、日本建築史を専攻していました。日本建築の歴史を研究する研究室に所属していたのです。
 歴史の捉え方の一つに、発展史観という考え方があります。ダーウィンの進化論のように、歴史が未熟な段階から徐々に高度な段階へと発展していくという考え方です。歴史の流れを捉えやすく、何より明快で分かりやすい。だから、私たちはつい発展史観で歴史を語りがちです。
 しかし、物事は、実はそう単純ではありません。いけばなの歴史をひもといてみても、単に未熟なものから高度なものへと発展しているわけではないのです。黎明期を例にあげれば、神の宿る依代、先祖に供える仏前の花、鑑賞のためのさしばななど、いくつかのルーツが混在しています。このいろんな要素が相互に影響を与え合って、現在のいけばなができあがっているのです。単純な発展史観だけでは、歴史の全体像は捉えきれません。
 さて、先日、アートを通じて京都のブランド価値を高めていこうという研究会に参加しました。その折に、ギャラリーキュレーターの方がこんな問題提起をなさいました。
 アメリカの美術批評家グリーンバーグが提唱したモダニズムは崩壊した。芸術が、平面性を強調する方向に向かって純粋化され進化していく、という歴史観は覆された。人間を生物学的に捉えてみよう。人間は50兆個以上の細胞で構成されていて、その細胞の中身がすごい速さで入れ替わって生命を維持している。ミクロに見ると常に変化しているがマクロに見ると変化しない。この「動的平衡」という概念が、歴史にもあてはまるのではないだろうか、と。
 アートも、ある目的に向って発展していくという発展史観では語りきれないのですね。では、新しいアートを生み出すために、私たちはどこへ向かって進んでいけばよいのでしょう。彼はこんな試みを紹介してくれました。
 川俣正は、炭鉱でオブジェを作ってほしいと依頼されたが、椅子とテーブルだけを置いた。すると、そこには地元の人が集まり、次は何を作ろうと、話し合いをする場が生まれた。彼は場を作った。
 そう、アーティストたちが集う場を提供すれば、そこから自然発生的に新しい何かが生まれてくる。京都は小さな街ですから、今でも様々な文化の担い手が、それぞれに友達づきあいをしています。ただ、この友人同士の集いは個別にはあっても、なかなかつながりません。彼らが一堂に集う場を提供する。そんなネットワークづくりが、これからの京都のアートを盛り上げる一つの方策なのかもしれません。

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