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2009年5月

2009年5月31日 (日)

20歳おめでとう!

 コンサートに、お招きいただきました。 
 大阪のラジオ局、FM802は、2009年6月1日、20歳の誕生日を迎えます。それを記念して、大阪城ホールで「FM802 STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGIC」が行われたのです。1万2000人の観客がステージを360度取り囲み、会場はすでにその熱気であふれています。
 いきものがかり、福原美穂、CHEMISTRY…。RADIOの思い出を語りつつ、RADIO HITSで盛り上がります。会場を染める照明と胸に響く重低音。ライブの迫力に圧倒されます。
 そこに、阪神のユニフォームを肩にかけたユースケ・サンタマリアが乱入し、軽妙なトークで会場を沸かせます。「今日は友人を連れてきた」と、虎の着ぐるみに身を包んだ人物を紹介。着ぐるみを脱ぐと…。
 なんと、桑田佳祐!
 思わぬ大物の登場に、会場の興奮は最高潮。大阪だからと歌ってくれたのは、上田正樹の「悲しい色やね」。嬉しいサプライズ。
 さてライブは後半戦。KANが巧みなMCで盛り上げ、スキマスイッチ、絢香、斉藤和義がそれに続きます。
 ラストは、皆の期待を裏切りません。やはり、この曲でしょう。FM802の09年春キャンペーンソング「Oh!RADIO」。忌野清志郎さんの遺作となったこの曲を皆でセッションしてくれました。
 自分の声と身体で、たくさんの人たちに想いを届ける。アーティストって素敵な仕事ですね。人を揺り動かす音楽の力、そして、RADIOの底力を教えられたあっというまの4時間でした。 (敬称略)

http://funky802.com/magic/

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2009年5月25日 (月)

京都美味案内

 関谷江里さんが新刊を出されました。『京都美味案内』、ぜひご覧下さい。 

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2009年5月24日 (日)

華道家への道

 3歳でいけばなをはじめた私は、毎週水曜日には家元の教室に通い、流派内のいけばな展には必ず作品を出瓶していました。とはいえ、まだまだ「私は華道家です」と胸をはって名乗れるほどではなく、数多い家元の生徒の中の一人でした。
 大学に入学した18歳。私は、若手華道家による諸流合同のいけばな展に初出瓶します。諸流合同展では、各流派の代表者による実行委員会が結成されます。私も未生流笹岡の代表として実行委員に選ばれ、他流派の先輩華道家たちとともに、展覧会の企画から会期中の雑用に至るまで、さまざまな役目を担いました。同世代の華道家たちと触れあう中で、「私も華道家なのだ」という自覚が芽生えてきます。ほぼ時を同じくして、助手として、家元である祖父に同行するようになります。祖父のすぐ隣で、指導方法を学びました。
 大学院に進学した22歳。友人や後輩にせがまれて、自身が主宰する教室を開きます。いけばなの魅力を多くの人に伝える役割を担うことになりました。それまでの私にとって、いけばなとは「自分と花との対話」でした。技術を学びながら、花の声にならない声を聞く。精神修養や自分磨きといった意味合いが大きかったのです。しかし、自分の教室を持つことで、いけばなの別の側面を発見しました。いけばなとは、花を介した「自分と人との対話」でもある、と。
 たとえば、皆が黙々と花をいけているだけの教室って、さびしいと思いませんか?
 技術を学ぶだけが、いけばな教室の魅力ではありません。先生や兄弟子の花に対する想いを聞くのは、技術の習得以上に貴重な経験となります。お寺に行ったら石楠花が咲いていた、最近行った割烹で旬の野菜がおいしかった、こないだ泊まった温泉がオススメです…。時には、いけた花を前にとりとめのない話題で盛り上がることも。
 そもそも、鑑賞のためのいけばなは、室町時代に接客のツールの一つとして誕生しました。いけばなは生まれながらにして、人と人との関係を円滑にする役割を担っていたのですね。
 さて、現在、私は舞台芸術としてのいけばなの可能性を追求しています。舞台上で大作をいけあげ、同時に多くの観客と、花の命のぬくもりを分かちあうのです。舞台で花をいけていると、観客の反応がダイレクトに返ってきます。この「いけばなパフォーマンス」は、まさに私と観客との対話。ご覧いただく皆様に共感してもらえるような舞台を心がけています。 
 幼い頃と同じように花に接していても、私にとって華道家という仕事の意味はずいぶん変わりました。華道家としての私は、いまだ道半ば。10年後、20年後の私にとって、いけばなはどんな存在になっているでしょうか。

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2009年5月22日 (金)

独りよがりはいけない

 NHK「課題授業ようこそ先輩」で、私が担当したのは母校の小学校6年生。1クラスを7つの班に分け、数人で一つの作品をいけあげてもらいました。ある班では、リーダー格の子が意見を出し、他の子はそれに素直に従うだけ。あまり自分の意見を主張しません。また別の班では、皆が自分の意見を主張し、まとまらず喧嘩になってしまいます。
 そこで私は、こう提案しました。
 自分の意見を持つことは大事だね。だから、まずは全員が、自分たちの意見を黒板に書いていこう。でも、自分の意見だけにこだわっていては、独りよがりになってしまう。次に、みんなで黒板に書いた意見を見て、話し合おう。自分の価値観をしっかり持ちつつ、他人の価値観を許容する器の広さを持ってほしい。みんなで意見を交換し合い、時には衝突し、時には助け合って、よりよいものを作り上げるんだ、と。
 私にも、独りよがりになっていた苦い経験があります。
 3歳からいけばなをはじめたので、私の身体にはいけばなの美の法則がしみこんでいます。先人が教えてくれる美の法則を知れば、誰でも名人の花がいけられます。学生時代には、自分の技術と審美眼に、根拠のない自信を持っていました。一方、大学では、建築を専攻しました。建築といけばなの二足のわらじを履きたい。漠然と、そう考えていたのです。しかし、今から思えば当時の私は甘かった。未熟でした。
 建築を学ぶ中で、大きな発見がありました。日本建築には、「左右非対称」「白銀比」「天地人のデザイン」など、いけばなと共通する美が見られたのです。日本の美には共通点がある。ということは、この美の法則は、単に花を美しく見せる方法論ではなく、日本人の自然観や人生観を内包しているのではないだろうか。
 例えば、左右非対称の美は、完璧な人間が理想なのではなく、ちょっと不完全な方が人間らしくて味わいがあるという日本人の考え方を象徴しています。人間には短所があるからこそ、他人の痛みが分かり、助け合い、補い合える。
 建築という、いけばなとは一見無関係に思える分野を学ぶことで、私はいけばなの奥深さを再認識させられました。この発見が私のターニングポイントになりました。いけばなは片手間でやれる仕事ではないと悟り、大学院の博士課程を中退して、いけばなに専念することを決めました。
 他者の意見を聞き、いろんな切り口を知ることで、われわれの見識は高まります。普段は全く係わりのない分野のエキスパートや、自分とは違った物の見方をする方のお話をうかがうことが、私自身の人生にとって大きな糧となるのです。

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2009年5月21日 (木)

名残りの藤

 道路は舗装されおらず、大小の石が転がっています。曲がりくねった山道を進むと、その石が車底やホイールキャップにぶつかり、ガンガンと大きな音をたてます。梯子を積んだ自家用車は、泥だらけになりながらようやく目的地に到着しました。
 お知り合いの方が、手を入れていない雑木林をお持ちだとうかがって、いけばなパフォーマンスに使う花材を切らせてもらうため、神護寺のある高雄のさらに奥まで行ってきました。
 山の木を切るときのポイントは、マクロではなくミクロに植物を見ること。離れて見たときには葉が密に見えても、近くで見ると意外と葉と葉の間に隙間があいているもの。大自然の中では引き締まっているように見える枝も、家に持ち帰ると間延びしているので注意が必要なのです。
 松、夏はぜ、あせび、つつじ…。様々な枝に目を奪われながら、1時間近く山の中を駆け回りました。そして、今回、私が選んだのは花房のたっぷりついた美しい藤です。市中ではもう藤の花は見られませんが、山中では今が盛り。ぜひ皆さんに名残りの藤を届けたいと、この枝を切らせていただくことに。
 藤は、大木につる状に巻きついて成長します。ある藤は、太い松に巻きつき、その松を枯らしています。山主は、その藤を見て、「手の入っていない証拠ですよ」と笑います。そう、山主にとってみれば、藤はありふれた不要な植物なのです。しかし、我々華道家にとっては極上のご馳走。私は、目星をつけた花枝の下に梯子を立て、梯子の上から手をめいっぱい伸ばして、その枝をのこぎりで落としていきました。
 花屋さんから株で仕入れた藤は3mもありませんが、山の藤なら5mをゆうに超えますから、とにかくスケールが違います。つるの曲線も流麗で味わいがあり、中には茶色い藤豆のついた風情のある枝も。
 何より、自分で切った枝を使うと、花材に対する思い入れが違います。家庭菜園で育てた野菜で料理するようなもの。命を分けてもらう幸せを肌で感じるのです。
 そもそも、いけばなは、花屋さんから仕入れた花材を使うのではなく、自然の枝を切って家の中に持ち帰るのが本来の姿。今では公共の山林の花を切ると罰せられますから、なかなかチャンスはありませんが、自然の木を切るという行為は、命のありがたさを知ることのできる貴重な経験。みなさんも機会があれば、ぜひ挑戦してみてください。

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2009年5月12日 (火)

怒涛の二日間

 怒涛の二日間が終わりました。昨日・今日と、NHK「課外授業ようこそ先輩」のロケだったのです。
 初日は、子どもたちを家元邸に招いて「いけばなパフォーマンス」でおもてなし。その後、学校に戻り、いけばなの「美の法則」を体得してもらいました。迎えた二日目の今日。私が子どもたちに与えた課題は、自分たちの想いをいけばなで伝えること。はたして彼らは、誰に、どんな気持ちを伝えるのか! 飾る場所は、花器は、作品の背景は? 班の仲間たちと、時にはぶつかりあいながら、また時には助け合いながら、子どもたちは懸命に花と向き合ってくれました。さて、彼らの想いは伝わったのでしょうか?
 昨年の年末から、なんと約半年がかりで立案したこの企画。打ち合わせや下調べなどを含めれば、費やした時間は延べ100時間超。一つの番組にこれほどの時間と労力をかけたことはこれまでありませんでした。NHK総合(全国)にて、2009年7月5日(日)午前8:25~8:54放送予定。ぜひご覧ください。

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2009年5月 6日 (水)

かきつばたの家

 先輩のご自宅にお邪魔しました。「吉村順三の森の別荘のような家を」と、1年かけて土地を探し求め、建築家に依頼して建てられた素敵な邸宅です。敷地は、かきつばたで有名な神社の境内に面した絶好のロケーション。二階のリビングは、かきつばたの池に向かってせり出すようなつくりになっており、ガラスを多用した開放的な空間。ロールカーテンを開け放てば、咲き誇る紫の花が眼前に広がります。神社の境内が、庭がわり。円通寺にまさるとも劣らぬ借景です。屋上に設けられた見張らし台にもあげていただきましたが、神社のかきつばたはもちろん、大文字まで眺められる趣向です。
 朝、昼、晩、時間経過とともに趣を異にするかきつばた。特に、夕暮れ時は陰影がなくなり色だけが際立ち、その青い花色はえもいわれぬ美しさだとか。また、かきつばたのころだけでなく、桜のころ、雪のころも、違った味わいがあり、四季折々の楽しみがあるとのこと。まさに、自然とともにある暮らし。日本人の理想ですね。
 それにしてもこの絶好のロケーション、羨ましい限りです。Dsc08505_2

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2009年5月 5日 (火)

こどもの日

 今日は、NHK大阪放送局で「ぐるっと関西おひるまえ」の生放送でした。
 こどもの日特番ということで、朝の連続テレビ小説「だんだん」のヒロイン、三倉茉奈さん・佳奈さんが、番組で生まれた「いのちの歌」を披露されました。
 「この星の片隅で めぐり会えた奇跡は どんな宝石よりも たいせつな宝物」
 愛すべき人たちとの出会いこそが人生の最大の意味だ、と私は最近強くそう思います。
 「ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある」
 私たちのすぐ近くには美しいものがいっぱいあるのに、普段私たちはそれに気付きません。いけばなは、私たちの身のまわりにある美しさに気付くきっかけを与えてくれる、素敵な生活文化です。
 お二人がライブで歌われているのを、すぐ横で聴かせていただき、改めてその歌詞に心を打たれました。
 さて、続いてのコーナーは、キャスターの桂よね吉さんと茂山宗彦くんによるいけばなの競演。私の役どころは解説者です。「子ども心をくすぐる」というテーマのもと、用意した6種類の花器と10種類の花材の中から好きなものを選んで、お二人が即興でいけこんでいきます。 通常は、私がポイントを説明しながら、お二人に実演していただいているのですが、今日は完全な放任です。今までのレッスンの成果が試されます。
 はたして、お二人の作品は…。
 よね吉さんは、『かぐや姫』をイメージさせる青竹の器を使って、百花の王と呼ばれる牡丹をいけあげました。満開の花とつぼみに、親子の姿を託して。また、新緑の美しいナナカマドの枝をやや高めに添えて。自然の姿を写して「木は大きく、花は小さく」ととのえられました。古来、日本人は自然を愛し、その姿をいけばなにも取り込んだのですね。足もとに添えた風車が子どもたちに好評でした。基本に忠実な正統派のいけばなです。
 宗彦くんは、インドの金属製の水差しを選びました。背の高い水差しから、アスパラガスのつるを流すように下げ、赤と白のバラで三角形を描くようにすっと立ち上げました。「背の高い器は、枝を下げて作品を大きく見せる」「花の全体が三角形におさまるようにいけると整って見える」という基本を抑えて。アスパラガスのつるの長さのバランスが絶妙で、すっかり感心してしまいました。『アラジンの魔法のランプ』といった雰囲気です。
 和と洋の違いはあれど、いずれもお見事のひとこと。よい意味で期待を裏切ってくれました。私が想像していた以上のできばえで子ども心をくすぐってくれました。
 落語にも狂言にも、いけばなと同様に「型」があります。お二人には日本の文化に共通のバランス感覚が染み付いているのかもしれませんね。

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2009年5月 4日 (月)

月心寺の精進料理

 NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」のモデルとなった月心寺にお参りしました。吉兆創業者の湯木貞一さんとのご縁も深く、ごま豆腐をはじめとした精進料理で知られています。前々から一度は訪れてみたいと思っていたのですが、予約は10名以上と聞き、仲間と相談してこの日を迎えたのです。集まったのは初対面の方も含め、同世代20名の大所帯。 
 座敷に通していただき、まずわれわれを出迎えてくれたのは険しい山の斜面をうまく利用して丁寧に作られた美しい新緑の庭です。国道一号線に面しているにも関わらず、庭に落ちる滝の音が、喧騒をかき消す工夫がなされています。
 次に、目にとまったのは、箸袋に書かれた食事訓。
  一つには功の多少を計り彼の来処を量る
  二つには己が徳行の全欠を忖(はか)って供(く)に応ず
  三つには心(しん)を防ぎ過貪等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす
  四つには正に良薬を事とするは形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり
  五つには道業(どうぎょう)を成(じょう)ぜんが為に正に此の食(じき)を受くべし
 この食事訓を見て、ふと目の前に幼い日の我が家の食卓の風景が浮かんできました。すっかり忘れていたのですが、盛永宗興老師のもとへ参禅していた父の影響で、我が家ではこの食事訓を皆で唱えてからご飯をいただくのが決まりだったのです。
 さて、杯にお酒を注いでいただき、いよいよお料理の始まりです。85歳になる庵主様が、午前1時からお作りくださったお手間入りのお料理たち。精進料理というと質素な印象がありますが、次から次への運ばれてくる品数と量に、一同唖然。もちろん、その味は折り紙付きです。お茶菓子として東海道名物「走り井餅」が出されるころには、もう満腹で動けないほど。
 食事が終われば、お待ちかねの庵主様のお話です。与謝野晶子と谷崎潤一郎の源氏物語の解釈の違いから始まり、人間も植物も子孫繁栄を望む理、子どもは甘やかさず躾けることの必要性、ご自分の体験を踏まえた死生観まで、長時間にわたり饒舌にお話くださいました。年齢を感じさせないほどお元気で、ご講話の後の写真撮影にもしっかりと応じて下さいました。
 月心寺の美味しい食事と仲間たちとの楽しい会話。今日も、幸せなひとときを過ごすことができました。1

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2009年5月 2日 (土)

あなたの趣味は何ですか?

 あなたの趣味は何ですか?
 これって、意外と難しい質問ですね。働き盛りの我々の世代にとって、仕事は半ば趣味のようなもの。いけばなと答えたい所ですが、仕事は趣味ではないと言われると、なかなか思いつきません。
 最もよくある休みの日の使い方は、外食です。美味しいものを食べるのは確かに好きですが、これも趣味とは言えなさそう。
 今、私が即答できるのは、昨日のブログで書いた建築めぐりを除くと、テニスです。2003年の夏、大阪のあるお寿司屋さんで友人と。「最近運動不足だなぁ」「じゃあ、テニスでも」。気軽に始めたテニスですが、やはり運動するのは気持ちのよいもの。今でも、週1回火曜日の夜に1時間だけテニスコートをレンタルして、みんなで楽しんでいます。テニスをしている間は、全く仕事を忘れて、リフレッシュできる。私にとってとても大事なひとときです。
 気持ちを切り替えて仕事の能率をあげるためにも、趣味を持つのはよいこと。テニス以外にも何かスポーツをしたいな、などと近頃考えています。

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2009年5月 1日 (金)

古建築めぐり

 岩倉の円通寺にお参りしました。借景で有名なお寺ですが、参拝したのが朝一番、観光客が集まる前でしたので、境内はひっそり静まりかえっており、後水尾上皇の幡枝離宮であった往時を偲ばせます。廊下を進むと、急に視界が開け、比叡山が眼前に迫ってきます。その美しさに思わず「おおっ」と声を出していました。上皇は、十年以上かけて、比叡山が最も美しく見える場所を探し求め、この地を選定したとのこと。1.6mの高さがある垣根も、400坪の前庭も、微妙に柱間を変えているのも、すべて比叡山を引き立たせるため。失いたくない日本の風景の一つです。
 最近、古建築巡りに凝っています。3月には、このブログでも紹介した東寺観智院をはじめ、東福寺退耕庵 、伏見稲荷大社お茶屋、仁和寺金堂・経蔵、妙心寺三門・衡梅院と、京都市観光協会さんが主催する「京の冬の旅」のコースを訪ね歩き、奈良の法隆寺や長野の松本城まで足を伸ばしました。4月に入ってからも、二条城、有栖川宮旧邸など、時間を見つけて拝観しています。
 古建築は、先人が現代に生きる私たちに残してくれた、時を越えた贈り物。折々の自然と解け合い、静謐で豊かな空間を届けてくれます。Dsc08240

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